深い闇に包まれたCIAとC〇Pの諜報合戦をHaranoTimesさんが読み解く!

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誤爆?された中国大使館、アフガンは大丈夫なのか?
中国初のステルス機が生まれた裏側

Harano Times 2021/08/22



皆さん、こんにちは。1999年の5月、世界の注目がNATO軍が行っていたコソボ空爆に集められた時5月7日夜、中国駐ユーゴスラヴィアの大使館が5つの爆弾で爆撃されました。

その爆撃で中国大使館の中で3名の死亡者が出て、20数名の負傷者が出ました。爆撃が起きた数時間後にアメリカとNATOが直ぐに、これは誤爆と説明をしました。

当時、ブリュッセルにいるNATOのスピーカー、ジェミー・シェアは夜中に起こされ、情報が少ない中で、翌日の朝、国際メディアに説明しないといけないことを知りました。

彼が翌日に出した説明は、彼らが今迄言ってきた唯一のオフィシャルな説明になりました。彼は、間違えた建物を空爆したと説明をしました。

20年後にこの当時のスピーカーがインタビューを受けて、それは車の事故の様で、その事が起きた事を知っていても、何故、その様な事が起きたかは分からない。

その理由を知るには、長い時間が掛かる。でも、確信出来るのは、NATOは中国の大使館を自分の攻撃の目標に入れていないと言っていました。

それと同時に、中国の国連に居る代表は、それはNATOの野蛮な行為だと批判しました。

爆撃が起きたた後すぐ、当時のアメリカ大統領ビルクリントンが、当時の中国の主席、江沢民に何度も電話をしました。

何故なら、主権国家の大使館を攻撃する事は、どんな言い訳をしても、戦争行為と見なされる。即対応して、コミュニケーションを取らなければ、大きな衝突に繋がる可能性が十分あるからです。

しかし江沢民は電話に出なかったです。その後、連続1週間、中国のメディアはアメリカとNATOが謝罪した事を報道せずに、アメリカとNATOが中国の大使館を爆撃した事は、国際法に違反した事で、明らかな覇権主義であると報道し続けました。

爆撃が起きた後、中国人の怒りが爆発しました。最初にデモに出たのは、当時の学生たちです。数千人の学生がアメリカ駐北京の大使館の周辺に集まって抗議しました。

それで事態が悪化して、暴力活動に変わりました。当時のアメリカは駐北京の大使の話によると、学生たちは、歩道で使われていたレンガを掘り起こして大使館の中に投げ始めました。

そのデモは89年の運動以来最大規模のデモになります。何故その時、学生たちの怒りが爆発したかと言うと、1990年以降、中国共産党は中国で民族主義、愛国主義の教育を強化して、その中でも、中国は欧米から苛められているという考え方を中国国内で拡げました。

調度、ユーゴスラヴィアの大使館が爆撃されて、この考え方に合致する行為になりました。89年の経験もありますので、中国共産党は学生の怒りを功名にコントロールしました。

江沢民は顔を出さずに、当時の副主席だった胡錦涛が前に出ました。胡錦涛は学生の抗議を支持すると同時に、抗議活動は合法的に行われるべきと強調しました。

それと同時に、アメリカの大使館がある広州の成都でも中国共産党に厳密にコントロールされていたデモが行われました。

当時、江沢民は前に出なかったが、後で出てきた話によると、彼は当日の緊急会議で3つのポイントを強調した様です。

1.愛国心で中国共産党と中国内部の団結を強化する。
2.この件でアメリカを集中的に批判して、他の欧米各国と関係を強化する。
3.この事を利用して、国際社会から支持を得て、WTOに参加する交渉で譲歩しない事です。

では、アメリカ側で何が起きたでしょうか?それは本当に誤爆なのか?それとも計画されたミッションなのか?

ビルクリントンは自分の本の中で、自分が大使館が爆撃され、死傷者が出た事を知った後に、ビックリして、不安になって、直ぐに江沢民に電話して謝罪をしようとしましたが、江沢民は電話に出なかった。だから私は公の場で何度も謝罪をしたと書いた事があります。

当時の状況かが考えると、クリントンは嘘を付いていない可能性が高いです。当時、クリントン政権は中国と全面的な友好関係を作る方向にシフトしましたので、中国の大使館を爆撃する事はアメリカ政府の政策に合わない行為になります。

又、国会の公聴会の結果から見て、アメリカ政府の上層部も、この件について知らなかった様です。アメリカはこの爆撃の件について調査した後に、中国の大使館に対して、誤爆があったのは、3つのミスがあったからと結論を出しました。

1.アメリカが当時爆撃する目標はユーゴスラヴィアの軍備調達部門で、その部門の建物は中国の大使館と数百メートル離れている所にありました。しかし、爆撃の命令を出した時に使った地図は古い地図だった。
2.アメリカのデータベースにその大使館の正確な住所の情報がなかった。
3.目標について、再確認する時に、誰もその2つのミスに気付かなかった。

この説明はアメリカとNATOが正式に使ってきた理由になります。又、攻撃が起きた同じ時期に、アメリカの国防部門の上層部は外でパーティーをやっていた様です。

もし、米軍が計画的に中国の大使館に対して攻撃を行うなら、そこでアメリカと中国の間で起きる可能性がある衝突に備える事になりますので、呑気にパーティーをやっている場合ではなかった筈です。此処まで見ると、この爆撃は誤爆になります。

しかし、その結論が出た後に話を見れば、その説明に問題がある事が分かります。先ず、クリントン政権の情報長官はイギリスのメディアで「地図が間違えているという言い方はおかしい。大使館の情報は地図に載っている」と反論した事があります。

次にアメリカのデータベースに中国の大使館の情報が入っていなかったという言い方は、どう考えてもオカシイです。

何故なら、当時のユーゴスラヴィアにある中国の大使館は中国が東ヨーロッパの情報を収集する重要な拠点で、アメリカが重点的に監視していた大使館になる筈ですので、アメリカのデータベースに、その大使館の地図情報が入っていなかったという事は明らかにオカシイ事です。

当時のアメリカCIAのトップが、国会の公聴会で言った話から分かるのは、その攻撃の任務を遂行したのは、アメリカの爆撃機B2Aで、NATOの指揮系統を経由していなかったです。

又、その攻撃の指示を出したのは、アメリカのCIAで、その戦争の中でCIAが出した唯一の攻撃指示で、攻撃の目標は倉庫でした。

では、CIAのトップの話を少し纏めると、1999年5月7日に米軍の爆撃機B2Aは直接CIAの指示に基づいて、アメリカの本土から出発し、NATOの指揮系統を避けて、空中で給油しながら、連続15時間飛行して、ユーゴスラヴィアにある倉庫の爆撃に行きました。

それはCIAが2ヶ月以上継続した空爆の中で出した唯一の爆撃の指示です。もし、ユーゴスラヴィアの軍備調達部門がそこ迄重要でしたら、空爆の最初の段階でやられた筈です。

ここ迄の話で、想像してみれば分かりますが、CIAはその攻撃の目標は大使館で、それはかなりデリケートな目標である事を知っている可能性が非常に高いです。

彼らはその空爆の中で自分の任務を遂行して、その責任をNATOとアメリカの政治家に負わせた可能性が高いです。

では、このあまりにもリスクが大きい任務は何だったでしょうか?
1999年3月27日、コソボ空爆が行われた最中に、ユーゴスラヴィアの武装勢力がアメリカのステルス攻撃機117を撃墜しました。

その経過について話すと、話が長くなりますので、3個のリンクを動画の説明欄に貼っておきます。(此処では、如何にリンクを貼り付けます)

B-2 (航空機

F-117 (航空機)

J-20 (戦闘機

アメリカのステルス機が撃墜された後、中国は直ぐに、ユーゴスラヴィアにステルス攻撃機の部品を中国に渡せないかと交渉しました。交渉の結果、ユーゴスラヴィアはステルス攻撃機のGPS設備、外部の塗料が残っている部品、対高熱の部品を秘密に中国に渡しました。

中国はその部品を中国駐ユーゴスラヴィア大使館の地下室に隠しました。中国が最初に気付いていなかったのは、中国が入手したGPS設備の内部の電源が稼働していて、位置情報を継続的に発信していました。

アメリカ側がその位置情報から、その機密性の高いモノは中国大使館にある事を知って、中国がその研究をしている事が分かったので、当時、CIAはNATOがそこで空爆をしている背景を利用して、大使館に対して攻撃を行い、それNATOの空爆ミスにする事を計画しました。

この事について、今迄何名かの調査記者が報道しましたが、米中両国共、この件について、何の情報も出していないです。でも、その後に、この話をサポートしてくれる事が起きました。アメリカのCIAがその爆撃に関与した7名の職員を処罰しました。

2009年、バージニア州で元CIA上層部が殺害されました。彼は処罰を受けた職員の1人で、当時の攻撃目標の場所を決めた人です。

彼が当時担当したのは、中国がアメリカの空軍武器の情報を集めている事に対する反スパイ活動でした。当時、その爆撃で亡くなった3名の方の骨灰と負傷者を運んだ飛行機が中国に着陸する時、中国軍がその周辺で戒厳令を敷きました。

大使館の職員以外にF117の残骸も一緒に中国に行きました。大使館が爆撃されたのに、まだ残骸が残っているかと言うと、その爆弾の中で唯一地下室迄行けた、1つの爆弾は爆発しなかったです。

当時の中国大使館は大使館の職員を表彰する時に、「大使館の勇敢な職員は4回も重要な物資を救い出した。それらの物資は命よりも重要」と発言した様です。では、普通の大使館にどんな命よりも重要な物資があるでしょうか?

当時、国際社会で中国の第5世代戦闘機が生産されるのは、早くても2020年になると言われていましたが、2011年1月、当時のアメリカ国防長官ロバートゲーツが中国を訪問した際に、中国の初第5世代ステルス戦闘機が飛行テストをしました。

国防長官ロバートゲーツが胡錦涛に詳細を聞いた時、胡錦涛は詳細を知らなかったと返答しました。その事は、中国がワザとアメリカに対する見せつけではないかという問題になった事もあります。

当時、アメリカのシンクタンク「ランド研究所」もレポートを出していますので、リンクを説明欄に貼っておきます。(ここでは太字部分)

中国はその爆撃で壊されなかったF117の残骸を研究して、自分の空軍の力を大きく上げる事が出来ました。

この話は最近起きた事ではなく、もう20年以上経ったです。皆さんも既にどこかで聞いた事がある話だと思います。以上の内容の中で、私が検証してきた事と今迄「陰謀論」と言われている部分はありますので、物語として聞いて頂ければと思います。

では、何故、又私がこの話を皆さんに紹介したかと言うと、今回、アメリカがアフガニスタンから撤退した時に、アフガニスタンに大量の武器を残してしまいました。米軍の多くの武器はかなり先進なモノになりますので、アフガニスタンのタリバンが巧く使いこなせるかというと、難しいと思います。

又、長く使う為に、専門的なメンテナンスが必要なモノも多いので、タリバンの手元に残ったとしても、普通の使いやすい銃、大砲、車等以外は、長期的に見て、タリバンの戦闘力増強には繋がらないと考えても良いです。

しかし、もしタリバンが先進な武器を中国に渡すとなると、又、話が違ってきます。今、公開されている武器のリストを見る限り、中国に取られてても、そこ迄大きな影響はないと見られていますが、でもそれはあくまで公開されているリストで、この様な大混乱の中で米軍がどんなモノをそこに残して、それらがどんなルートを通って中国共産党の手に入ってしまうかが、もう分からない状況になっています。

勿論、それも可能性の話になりますので、今は何とも言えない状況です。トランプ大統領は「アフガニスタンにネジ1本も残さず全部アメリカに持ち帰る」と言ったのは、この様な歴史的な背景があるからかもしれません。

今回はこのアフガニスタンの状況を見て、過去の話を皆さんに紹介しました。中国共産党の浸透活動は、私たちが想像できない位進んでいます。この様な大混乱の中でも、中国共産党は自分が欲しいモノを手に入れる為に、全力で行動します。

それと比べると、平和時代で彼らが普通の中国人の顔をして、先進国から先進の技術を盗むのは、彼らにとって、全く難しい事ではない事が分かります。

浸透されている社会で共産党と戦う為には、1人1人の共産党に対する意識を上げる必要がありますので、これからもこの様な話をしていきます。では、又、次回お会いしましょう。


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