K国やC国がバラ撒いている様なR国のプロパガンダ?それとも…勉強不足の私にはあまりにも衝撃的

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【日本語字幕】【閲覧注意】【年齢制限】
ウクライナ・オデッサの悲劇

Harano Times 2022/03/04




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此処で犠牲になったのは、反逆者ではなく、ごく普通の住民たちです。



皆さん、こんにちは。今回の動画を見る前に、この解説を聞く事を強くお勧めします。

まず、最初に警告をしたい事は、今回の動画で人間の死体が何回も出てきますので、
閲覧注意でお願いします。
ドキュメンタリーの完全性を破壊しない為、こちらで処理していません。ご了承下さい。

又、今回の内容に過激な内容が入っている為、Youtubeでは年齢制限、
拡散制限等が掛かっています。
勿論、最初から収益化にも制限が掛かっていますので、特に収益の為に、
この動画を公開していません。ご理解お願いします。

今回皆さんに紹介する動画は、2014年ウクライナのオデッサで起きた
労働会館放火の悲劇を紹介するドキュメンタリーです。
この事件はウクライナの民族過激主義者と
現地のロシア系住民、親ロシアの住民の間で起きた衝突がエスカレートして、
親ロシア派の住民が立てこもった労働組合の建物に放火され、
多くの死亡者が出た惨劇です。

ウクライナ戦争が始まり、この戦争が更に大きくなってしまう可能性がある今、
ウクライナで一体何が起きたのかについて、
多くの方が調査や勉強していると思います。

この一連の話の中で、この惨劇は避けられない代表的な事件です。
この事件は大きな惨劇である事は確かで、誰も否定出来ません。
多くの民族が同じエリアで生活する時、
特に国境、文化、歴史問題で対立意見がある場合、衝突が起きやすいです。

事件がエスカレートすると大きな惨劇に繋がります。
単一民族の国では、なかなか理解出来ない部分もあるでしょう。
又、この事件で、現地の警察、司法等の対応が悪かったのが分かります。

現地の政府の腐敗や、一部の政治家に問題があるのが分かります。
この様な現地の対立の裏に、
欧米とロシアが裏で煽っている可能性がある事も否定出来ません。

今、実際に起きている戦争に戻って話をしますと、
ロシアはウクライナ政府がウクライナでロシア系住民に対して
ジェノサイドを起こしていると主張しています。
いつか国際社会で本当にウクライナでジェノサイドが起きたのかについて、
議論されるに違いありません。

ジェノサイドの話が出ると、このオデッサで起きた惨劇が出てきます。
長年ウクライナで起きてきた事は、現地の民族間の衝突として定義されるのか、
それとも国家主導である民族・人種を計画的に絶滅させるジェノサイドなのか、
という部分で議論されると思います。

この問題に対する定義は、ロシアが国際社会で受ける対応にも
大きな影響を与えるでしょう。
この問題について、この1本の動画で全部説明できるモノではありませんので、
当時の事件を記録する、1つの資料として見て頂ければと思います。

2021年5月2日
ウクライナ・オデッサ市
クリコヴォ・フィールド(中央広場)

此処で犠牲になったのは、反逆者ではなく、ごく普通の住民たちです。

抗議活動に参加した
ごく普通のオデッサ市民だ

キエフで起こった様な混乱が長引けば、
自分たちの生活が脅かされると危惧していた

2014年2月首都キエフ
『マイダン革命』

ヤヌコーヴィチ大統領が、
EUとの連合協定の延期を決定した事に端を発した
大規模抗議活動

抗議活動はクーデターに発展
右派セクターの民族主義者が中心となって
政権を奪取した

ヤヌコーヴィチ大統領は
ロシア国内へ逃亡
アメリカとEUは新政府を承認し、
西側編入に向けての交渉を再開した

2014年4月オデッサ市
親ロシア(反ウクライナ新政府)デモ

「オデッサから出ていけ!バンデラの悪魔!」
(※ステバン・バンデラ:第二次世界大戦当時の
ウクライナ民族主義者組織リーダー)


オデッサ市民はとても賢明な人々だ
新政権が自分たちには
一切恩恵をもたらさない事を知っていた
だから抗議活動を始めた

今迄オデッサでは
この様なデモが行われた事はなかった。
オデッサ市民が立ち上がったのは、
事態が極めて深刻だからだ

「ファシズム反対!」

◆ ◆ 画面が変わって ◆ ◆
活動家のオレグ・ムジカ氏氏にマイクを譲ります

ムジカ氏:皆さん、権力者たちは、
デモ参加者の数が増えない事を願っています
しかし、日に日に参加者は増えています
彼らは活動家たちを
脅迫しようとしています

オデッサ市民は、これ迄も、そして
これからも彼らを恐れたりはしません

我々を制圧している権力者たちこそ
ウクライナを破壊してきた人々です

オデッサで最も大きな広場
「クリコヴォ・フィールド」は
この運動の事を表す代名詞となった

親ロシアの住民たちは、広場にテントを張り、
平和的なデモ活動を開始した
警察発表によると、
抗議活動の参加者数は、2万5千人に迄達した


本来ウクライナ国民の間には
対立などないのです

この対立は、政治家とオリガルヒの間の
権力争いなのです
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アレクサンダー・メイエフスキー
(クリコヴォ・フィールド運動の参加者)
オデッサはロシアの首都だロシア語圏なのだから
しかし今や子供たちにロシア語の使用を禁じている
学校ではウクライナ語を使わなければならない
数学でさえも
ロシア語を使う学校は閉鎖され
ウクライナ語の学校しかなくなった
オデッサには150もの異なる国籍の人々が
住んでいるが、共通語はロシア語だ
買物する時でさえ
店に入ると店員がウクライナ語で
「いらっしゃいませ、何かご入用ですか?」
と聞いてくる
私は「君の発音オカシイよ」
って言ってやるんだ
「ロシア語で話そうよ!」って
するとたいてい
「ウクライナ語で接客する決まりなんです」
って言われる

平和的な抗議活動家だった
でも、国家保安機関の人間が
参加者をズッと撮影していた。
でもの参加者が1万~1万5千人になると、
彼らは街中に戦闘員を連れてきた

そしてオデッサの街の至る所に
チェックポイントを設置し始めた
パルビイは、それらのチェックポイントを見回っていた
アンドレイ・パルビイ
●キエフでの「マイダン革命」を指揮
●ネオナチであり、右派セクターを支援
●クーデター後、ウクライナ国家安全保障
及び国防会議(NSDC)書記に任命された


彼は戦闘員たちに防具と武器を配る為に
オデッサ入りしていた
彼らは事実を語らないが、
間違いなく軍用の武器を所持していた
彼らは、クリコヴォ・フィールド運動を
潰す為の準備を着々と進めていた

「我が民族に栄光を!」
「敵に死を!」

2014年5月2日
マンダン革命支持者と親ロシア住民の間で
大規模な衝突が発生

彼らは訓練された戦闘員だ
多くは民族主義者の部隊の男たちだった
彼らはウクライナ全土からバスや列車で連れて来られた
最初、戦闘員たちの数は千五百人位だったが、
日が暮れる頃には既に2倍になっていた

アンドレイ・ユーゾフは、6列縦隊を組ませて
街の中心部へ進入してきた
住民たちがキャンプを張っているクリコヴォ・フィールドの方向だ

6列縦隊を組んで中央広場へ向かうぞ
アンドレイ・ユーゾフ
●マイダン革命時、オデッサ地域を指揮した1人
●2014年5月2日の事件後、オデッサ地域の
国家保安期間アドバイザーに就任
●ウクライナの「ニューリーダートップ50」の1人

取り囲んで、火をつけろ!

5月2日
政治系ライブトークショー

アレクセイ・ゴンチャレンコが
オデッサの中央広場からレポートしてくれます
アレクセイ:こんばんは
MC:こんばんは、アレクセイ
アレクセイ:分離主義者たちのキャンプの残骸をお見せします
今燃えています
見えますでしょうか?

中央広場に分離主義者たちが張った
キャンプの残骸です
(スタジオ観覧者の拍手)
アレクセイ・ゴンチャレンコ
●2014年11月からウクライナの国会議員
●2015年から欧州議会のウクライナ代表
●米国との強固な関係構築を主張している

我々は、分離主義者たちがキャンプを張っている
中央広場へ行き、キャンプを差し押さえ、
破壊しました

アレクサンダー・メイエフスキー氏
「彼らが街の中心部へ迫ってきている」との
電話を受けた
彼らがバット、棒、戦闘用武器を
携帯している事も知らされた
しかし我々は、それに対抗する手段を持っていなかった

私は退散する様に参加者たちを説得した
すぐ近くには、40歳位の母親と17歳位の娘さんがいた
「娘さんを連れて帰宅しなさい」と私は彼女に言った
参加者たちは石畳の石を砕いて袋に入れて
それを引き摺って、労働組合会館へ運んでいた
建物の中から外へ向かって投げて
身を守るのだと言って
「石を投げてマシンガンに勝てるワケがない」
「子供を連れて家に帰れ」と私は言った
それで帰った人も居れば、そこに残った人も居る
その時、70歳位の男性が叫んだんだ
「帰るもんか、ワシらは1941年にナチスと戦ったんだ!」
「皆でオデッサを守るんだ!」
そこに女性や子供が居なかったら、
おそらく私は立ち去っていた
でも10~15歳の子供たちが
建物の中へ入って行くのを見て、私も彼らに続いた

アレクセイ:何人からの分離主義者たちが
建物の中に入りました
そして残念ながら、その内何人かは火事で亡くなりました
一酸化炭素による窒息死です

MC:アレクセイ、
その火事はどの様にして起こったのですか?

アレクセイ:建物に火炎瓶が投げ込まれました
建物の中からは、爆竹が飛んで来ました
それから建物が燃え始めました
詳細は分かりません


アレクサンダー・メイエフスキー氏
彼らが、火炎瓶で建物に火をつける為に
窓ガラスを割ろうとしている事に気付き
我々は、花瓶や灰皿や皿等、
身の回りにある物全てを投げて抵抗した
陶器やコーヒー缶等も投げた
戦闘員たちが建物に近づけない様にする必要があったんだ
しかし彼らは銃撃を開始した
窓から顔を出した者は銃撃の的となった
彼らは拳銃やライフルで撃ってきた
私の近くに居た16歳位の少年は、半分面白がっていた
映画の中の場面の様に感じたのかもしれない
スマホを取り出し、動き回って一部始終を撮影していた
彼は窓際まで走っていき、外に頭を出した
「外で何が起こっているんだろう?」と
彼はもう少しで撃たれるところだった
私は彼の上着のフードを後ろから掴んで
彼を中へ引っ張り込んだ
彼は頭から床に倒れ込んだ
次の瞬間、銃弾が天井に当たり、
石灰岩の屑が上から降ってきた
彼らはゴムタイヤを投げて窓ガラスを割り
そこから火炎瓶を投げ入れた
そして火が付いた
消火栓に水が来ていたので、火を消す事は出来た
しかし5分後には完全に水がなくなった
建物のインフラは完全に断ち切られ、
消火する手段がなくなってしまった
すぐに別の火炎瓶が投げ込まれ、
再び室内に火がついた

消火器を持って来い!火を消すんだ!早く!
活動家オレグ・ムジカ氏の著書より
我々に向かって火炎瓶が投げ込まれ、
部屋の扉が燃え始めた
そして最初の軍用発煙弾が飛んできた
1人が何とかそれを外に投げ返したが、
彼は息が出来なくなった


アレクサンダー・メイエフスキー氏
15cm先も見えなくなる密度の高い煙なんだ
真っ黒い煙で、息が出来なくなる
私は目を閉じ、息を止めて、壁伝いに歩いた
そして偶然、木製扉のドアノブに私の手が触れた
それは正に奇跡としか言い様がない
ドアに掛けられていた3つのロックを壊した
思いきり引きちぎったんだ
私を含めて3人がその部屋に駆け込んだ
1人はオレグ・ムジカ氏で
もう1人は年老いた男性だった

オレグ・ムジカ氏
勿論、人によって体験談は異なります
私は、発煙弾をいくつか目撃しました
とても息苦しかった事を覚えています
それから、扉のバリケードを築きましたよね?
いっしょにいた老人男性の事を覚えていますか?

アレクサンダー・メイエフスキー氏
ハイ、彼は頭を押し潰されました
後で、消防隊が彼の遺体を搬出しました。

オレグ・ムジカ氏
今でもよく思い出します
家族や友人に電話して、分かれを告げましたよね?

アレクサンダー・メイエフスキー氏
そうですね

活動家オレグ・ムジカ氏の著書より
窓から顔を出した者には
投石と銃弾が容赦なく浴びせられた
戦闘員たちは、「ウクライナに栄光を!」と叫び
ウクライナ国歌を歌い、拍手をしていた
窓から人が落ちていく度に歓喜の声が上がった

アレクセイ:奴らは遂に降伏した
我々は目標を達成した
「ウクライナに栄光を!」


中で死んだ人も居れば、飛び降りて死んだ人も居た
飛び降りた者は、バットや鉄の棒で息の根を止められた

あいつら何て事をしてくれたんだ

ある男性は飛び降り、地面に打ち付けられ
身体を痙攣させ、息絶えようとしていた
まともな人間が、そんな相手を
バットや鉄の棒で殴打して息の根を止めるだろうか?
しかし彼らはやった
警察は現場から200m離れた場所に待機し、
バスの中に座ったまま、何もしなかった
建物に生存者が殆どいなくなった頃に
やっと警察は動き始めたんだ
活動家オレグ・ムジカ氏の著書より
警察は4台のバスの中で待機し、
建物が火に包まれるのを見ても
全く動かなかった
消防署は3分しか離れていないのに、
救助に来なかった
ある死亡者の親戚(消防士)の証言
「出動するなという命令が下っていた」

約40分後に消防士たちが到着した
救助班が我々がいる部屋の窓まで上がってきた
私は外の様子が窺った
民族主義者(戦闘員)たちは、
救出された人を怒鳴りつけ
「ウクライナに栄光を!」と言わせようとしていた
そして「国歌を歌え」と
精神的にも追い込もうとしていました

跪け、アバズレ!

やめてくれ

跪け!

手足が骨折していても
構わず人々を跪かせた
私はオレグに言った
「跪くには年を取り過ぎた」
「跪くなんて出来ない」と
彼は「私もだ」と言った
奴らの前に跪くなんて

消火活動によって火は小さくなってきた
その後に訪れたのは異様は静けさ
オルグが私に言った
「私たちも外へ出た方が良い」
建物内に未だ生存者が居る事が分かると
彼らが息の根を止めにやってくるからだ

部屋から出て目にしたのは正に地獄だった
階段や廊下など、あちこちに
焼死体が横たわっていた
煤の様に真っ黒で、骨まで焼けていた


アレクセイ:我々は分離主義者たちがキャンプを張っている
中央広場へ行き
キャンプを差し押さえ、破壊しました
中央広場に分離主義者たちが張ったキャンプの残骸です

私は5階に上がった
室内はとても暗く、死体がいくつも横たわっていた
1人の男性が階段の所に座っていた
手すりをこの様に握って
私は近寄って、「生きていますか?」と声をかけた
煤で真っ黒になり彼の表情は見えなかった
そこで彼の身体を揺すって
意識を取り戻させようとした
たまたま手すりの端が私の手に触れた
私は手を火傷してしまった
彼は熱く焼けた金属をズッと握っていたんだ
その瞬間、彼が死んでいる事を理解した
生きていたら、とてもじゃないが
焼けた金属を握っていられない
彼は死んだ侭 座っていたんだ
活動家オレグ・ムジカ氏の著書より
横たわる焼死体をひっくり返して顔を確認しながら、
2階から5階にかけて、弟の姿を探した
父が亡くなった時、
私は遺体を見るのが怖くて棺桶に近寄れなかった
しかしこの時は、全く恐怖を感じなかった
死体をひっくり返しながら思った
「生きている人間の方が怖い」


MC:アレクセイ、国務省からの情報では、
30名が一酸化炭素中毒死、8名が窓からの転落死
よって労働組合会館で亡くなったのは合計38名
それより前に4名死亡しているので、
オデッサでの死亡者は42名との事です
それが私たちが得ている情報です

アレクセイ:正確な人数は分かりません
私も何人か亡くなっている人を見ました
転落死した人を2人程見ました
建物内にも死体が残されています
しかし先程の人数はチョット少ないと思います
一酸化炭素が充満した建物で
呼吸をするのは不可能です
いくつかの防火扉は作動しています
今のところ、死者数は誰にも分かりません
4階、若しくは屋上でバリケードを組んだ人たちです
活動家オレグ・ムジカ氏の著書より
5階でクリスティーナという22歳の女の子の死体を見つけた
彼女とは知り合いで、
去年クリスマスイベントの手伝いをしてくれた


女性:アイヴァン、全て順調よ
オレグの弟アイヴァンは、
建物の3階から飛び降り、半身不随となった

震えているのは麻酔のせいよ、大丈夫よ
アイヴァン:僕は
女性:どうしたの?
アイヴァン:僕は
女性:どうしたの?
アイヴァン:歩きたい
女性:未だダメよ
アレクサンダーは、消防士の助けによって
建物から脱出する事が出来た
オレグは他の生存者と共に逮捕された
建物を襲撃し、放火した者たちは
1人も警察に拘留されなかった

2日後

「彼らを解放しろ!」
5千人ものオデッサ市民が警察署を襲撃し、
5月2日に逮捕された人々は釈放された

「1人は皆の為に!」
「皆は1人の為に!」
「私たちの英雄たち!」
公式発表では、2014年の5月2日の事件の
死亡者は48名とされている。
(内、女性7名、未成年者1名、身元不明者5名)
死因は
銃弾、煙中毒、熱によるショック、転落死等


アレクサンダー・メイエフスキー氏
オデッサの国家保安機関が捜査を開始した日
首都キエフから多くの捜査官がやってきた
そしてオデッサの国家保安機関から
捜査の権限を奪い取った
そこで私は、地元の捜査官に連絡を取った
「いったい何人が亡くなったんですか?」と彼に聞いたが
彼は、「何も言えない」
「私には家族も子供もいるんだ」と言った
「何か喋ると、家族に危険が及ぶ」と
彼はとても怯えた様子だった
アレクサンダーは、2014年5月2日に
警察が何もしなかった事について
ウクライナ当局を訴えたが、
訴えは却下された

2017年9月1日
ウクライナとEUの連合協定が正式に発効した


アレクサンダー・メイエフスキー氏
実際のところ、欧州はウクライナに対し
最初から何の約束もしていない
連合協定に調印したせいで、
ウクライナ企業は儲からなくなった
欧州の方が経済的に優位なのだから
ウクライナ企業はドンドン潰れていった

欧州は、あらゆる物品の売上を伸ばせる
新しいマーケットを獲得した
ウクライナが手に入れたのは
穀物等限られた品目の欧州への輸出割り当てだけだ
そんなもの最初の1ヶ月で使い切ってしまった
ウクライナ企業はロシア企業と
緊密な関係にあった為
ウクライナ経済は崩壊していった
その結果、生活は悲惨で貧困な状態に陥ってしまった
これが、マイダン革命が
オデッサにもたらしたモノだ
人々は、擦り切れた服、古びたオモチャ、
そしてクスリをあさっている
こんな生活を強いられている
なんてこった
老女たちが家にある物を全て売っている
状況は、ヤヌコーヴィチ政権時よりも悪い
ウクライナ史上最悪の規模で
権力者による搾取が行われている
現政権に比べれば、
ヤヌコーヴィチなんて「罪のない子供」だ
ウクライナは崩壊寸前だ

肺に溜まった煤のせいで、
事件後2週間は絶えず咳込んでいた
でも、たいした事はないと思っていた
3~4日経ってから
酷いアレルギー反応が出始めた
息苦しい上に、目から涙が止まらなかった
結局、このひどいアレルギーが
癌の発症を招いた
癌は5年間に渡って進行してきた様だが、
全く気が付かなかった
ただのアレルギーだと思っていた
この辺りの筋肉から腫瘍が見つかった
指で触ると分かるんだ

甲状腺を全て摘出しなければならなかった
術後の治療も続けたが
うまくいかなかった
肺と首に転移が見つかったんだ

病院側
珍しいタイプの甲状腺癌です

アレクサンダー・メイエフスキー氏
10月に化学療法を受けた
私の腎臓は殆ど機能せず、血尿が出た
その為、新しい薬を試さなければならない

どんな薬なんですか?

病院側
特殊な治療なので、
主任ドクターの診察を受けて下さい

治療は困難です
彼らがどの様な治療を行うのか、
私には正確に分かりません

治癒の見込みはない
延命処置しか望みはない


アレクサンダー・メイエフスキー氏
オデッサの病院では、
手の施しようがなく、
痛み止めを処方されるだけだ
肺と首の転移のスピードが速いので
もう打つ手がないと言われた

今、ロシアのサンクトペテルブルクで
治療を受けようとしている
それが無理なら、ノヴォシビルスクへ行くかもしれない
選択肢は2つしか残されていない


オレグ・ムジカ氏
貴方は重要な証人なのですから、
生き延びてもらわないと困ります
いつかオデッサに戻りたいです
私の希望は消えかけていますが
あなたが戦っている姿を見ると
とても勇気づけられます

アレクサンダー・メイエフスキー氏
今、彼はベルリンに住んでいる
ウクライナ国内にいれば逮捕されるからだ
彼はクリコヴォ・フィールド運動の首謀者として
刑務所に入れられるところだった

これはウクライナにおけるジャーナリスト活動の話です

当局は、クリコヴォ・フィールド運動のリーダーたちを
逮捕しようとしている
7年経った後も、捜査は継続中だが、
人々を生きた侭焼き殺した犯人の
罪は問われていない

オレグは未だに国内指名手配者

2019年6月
ベルリン

アレクサンドロヴィチさん、
私はウクライナ人の政治難民です
手紙を受け取って下さい

ありがとうございます
一緒に手紙が入っています

ゼレンスキー大統領が手紙を読んでくれる事を期待しています
ロシア語と英語で書きました。
5月2日のオデッサの悲劇について書いた
私の本も同封しました
返事が来るのを待ちたいと思います。
ゼレンスキー大統領は、
今までにオデッサを5回訪問しているが、
非業の死を遂げた
オデッサ市民を弔う為に
クリコヴォ・フィールドに足を運んだ事はない


オレグ・ムジカ氏
仲間の為に盃を交わしましょう
彼らの事を思い出して
彼らの魂が安らかに眠らん事を

そして、我々の使命と目的は
彼らの死に正義をもたらす事です
我々はいつも一緒です


ウーン…やっぱり私にはR国のプロパガンダに思えてしかたがありません。こういう話があるという事を頭の片隅に置きながらも、日本も全くでっち上げの南京大虐殺や慰安婦や等の大嘘を世界中にバラまかれていますからねぇ。「証拠もどき」まで作られて。嘘も百回言ったら本当になるっていうのが彼らの説らしいです。

ナザレンコ・アンドリーさんのTwitterへのリンク



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この記事へのコメント

2022年03月17日 01:42
さすがにこれだけ鮮明に映像として残ってしまっていたらプロパガンダも何もないような…。
南京事件は不鮮明な写真に妙な編集痕、矛盾らだけの証言、矛盾だらけの数字…とでっちあげの証拠となる点が多いですが、この件については特におかしな点が見当たりません。
強いて言えば、オデッサはウクライナ領なんだからウクライナ語を使わされるのは当然でしょ厚かましいおっさんだな…ってことぐらいで、ウクライナの民族主義者による虐殺行為そのものは否定しようがないレベルで映っちゃっていますし、南京事件や慰安婦のようなトンデモ話と同列に扱うのは無理があるように思います。

まぁ東欧スラヴ地域が好きで昔から追っている身としては、ああそういう地域柄だよねってことで特に意外性もなくすんなり受け入れられるところではあります。向こうの過激派は、日本でそう呼ばれている人たちが幼児に見えるレベルでやべー連中ばかりなので。
有色人種にとっては目があった瞬間、死を覚悟しなきゃいけないレベルのやばいのがゴロゴロいますし、そういうのがアゾフを始め政府機関に入り込んでいるのも確かです。